No.8 2001.7.17記

 第一号のヴァイオリン完成までの話を書いてあります。学校の授業と並行して、家でもヴァイオリンを作っていたのですが、学校では若いマエストロのため、結局終わりませんでした。しかし、夏には日本に持って帰りたいので、2年生の時のマエストロだったVincenzo Bissolottiにお願いして、工房に通って指導を受けながら完成させました。Bissolottiの工房では、お父さんのFrancesco Bissolottiにも会い、彼らの仕事ぶりを見ることが出来ました。なお、工房にはこの後も約2年間通いましたが、非常に得ることが多く、大きな影響を受けました。その他には、イタリア人の夏の過し方やユーロ導入前の状況などについて書いてあります。

 さて、早速ですが記念すべき第1号のヴァイオリンが6月29日に完成しました。このヴァイオリンは自分だけで作った初めてのものです。昨年の末から学校の授業と同じことを家でもしていたのですが、4月末には表板と裏板の接着を終えたので5月中には完成すると思っていました。ところが3年生終了時の特別な試験の準備やマエストロのヤル気の無さで結局は完成しませんでした。学校のマエストロには5月末までに何とか完成させたいのだがと相談したのですが、残念ながらそれ以後はほとんど進みませんでした。若いイタリア人のマエストロなのでもう学校が終わると思うと生徒と同じようにウキウキしてヤル気もなくなったのです。この夏、日本に帰る時には何とか1台は持って帰ろうと思っていましたので、そこで2年生の時のマエストロにお願いし、やっと完成することが出来ました。マエストロは毎年7月初めからバカンスを取るので、6月29日までしか時間はなく、途中何度かもう駄目かと思ったのですが工房の皆さんのご協力もあり完成することができました。そして今年の夏は1ヶ月間通うことにより多くのことを学ぶことが出来ました。またそれ以上にマエストロのお父さんと親しくなれたことが非常に良かったと思います。私のマエストロ(Vincenzo Bissolotti)のお父さん(Francesco Bissolotti)は世界的に有名なマエストロで、今年初めにNHKで放映された番組でも出ていました。6月初めから通い始めましたが最初は挨拶程度の会話しかしなかったのですが、一週間ぐらい経ってから私の名前を覚えてくれ、「Ciao(チャオ)!Goto!」と声を掛けてくれるようになりました。というのもVincenzoに教えてもらうために毎朝行く前に確認の電話をしなければならなかったのですが、その電話の取次ぎの殆どをお父さんの大先生(Francesco)がしてくれていたので私の名前を覚えてくれたのです。そして、1日に午前と午後の2回行くことも多くなり、そのうちに大先生から「おまえは来なければならないのだからもう電話をしなくても良い」と言われました。時々私の進行状況を見て、「順調か?問題はないのか?」と心配そうに声を掛けてくれました。私のマエストロ(Vincenzo)は製作技術に対して非常に厳しく、ひとつひとつ着実に出来ていることを確認してから次に進める方法で、非常に時間が掛かります。そして私の技術がそれに充分にこたえられない場合はやり直しになり時間がかかる場合もあります。またイタリア語が充分に理解できていないので、時々は誤って解釈し間違って作ったりしたこともありました。この辺をお父さんの大先生は気にされており、このように声を掛けてくれるのです。Vincenzoが工房で教えてくれる時間は、僅か2、3分の時が多いのですが、それまではマエストロの作業のやり方をじっと見て質問をしたり、ノートを取ったりするのです。まだすべての作業を見たわけではないのですが、マエストロのやり方を見ているとヴァイオリン作りに対する姿勢や考え方も学ぶことが出来、非常に参考になりました。今の私にとっては何処まで丁寧に作らなければならないかを理解することが重要なのですが、マエストロの作業を見ていると自分が納得するまで何回も何回も同じ作業を繰り返し妥協は絶対しないことが分かりました。この1ヶ月は自分の考えの甘さを知らされた1ヶ月でもありました。そして大先生からほんの少しですが、指導を受けたことも勉強になりました。大先生は本当にヴァイオリン作りが好きで、作り始めると急に目が厳しくなり、側でみているだけでも非常に勉強になります。ヴァイオリン作りはほとんど手作業ですがそれだけにそれぞれのマエストロが道具などに工夫をしています。今回も直角を出す作業があり、面が狭いので手で完全な直角をだすのは難しいのですが、やはりマエストロは初心者でも容易に直角が出せる道具(冶具)を作っておられ、私も「あ、そうか、なるほど」と納得しました。またヴァイオリン作りにはいろいろな流派があり、マエストロによってかなり違います。BissolottiはStradivari時代の作り方を出来るだけ守ることを基本にしているのですが、学校のやり方と比べると60~70%違っていました。板の厚さや隆起の形、それに指板の傾きなどいろいろ違いを指摘されました。こんなに違うとは思っていなかったので少し困りましたが、これからいろいろな作り方を習い自分なりの方法を見つけたいと思います。
 ところで、6月上旬に入学試験があり8人の日本人が入学することになりました。日本で“ヴァイオリン作り”がブームになっているのかと思うほど応募者が増えています。ただ、イタリアの寛大さに甘えて、何気なくイタリアにきて試験を受けたら合格したので通っているという学生も何人かいます。そして結局、彼らは何らかのトラブルを起こし日本人の評判を落としていることが多いのですが、新入生が少しでも評判を上げてくれればと思います。新入生の中には、既にヴァイオリンを10台以上作っている人が二人おり、彼らに期待をしているのです。
 次はイタリア人の夏の過ごし方についてです。ミラノやクレモナは緯度のわりには気温が高く、暑い時には日中は34、5度になります。また陽が長く、9時過ぎまではまだ明るいので夜もなかなか涼しくなりません。ですから暑さを少しでも避けるため昼間は鎧戸を閉め、そして窓も閉めています。建物が石で出来ているせいか、この方が家の中は涼しいのです。まだ日本のようにエアコンは普及しておらず(電気屋にはありますが)、まだまだ扇風機が主役です。また陽がきつく、外出の時は殆どのイタリア人はサングラスを掛けます。彼らの目は日本人の目よりも光に敏感なのでサングラスが必要だと聞いています。そして早い人では6月下旬からバカンスで海や山に出かけます。少ない人で2週間くらいですがこれを2、3回取る人もいますので大体1ヶ月はバカンスで休みます。私のマエストロの場合、自分の家族と1ヶ月間海に出かけ(マエストロは海は好きではないのだが奥さんと娘さんが好きだから行くのだと言ってました)、そしてご両親と2週間、山に出かけます。これは決して多いというわけでもありません。また人によっては、人の多い7月、8月にはバカンスを取らないで9月に入ってから取る人もいます。7月に入るとテレビではバカンスに出かける車の渋滞のニュ-スが流れますが、日本の正月やお盆のような感じです。ただ、こんなに長く休みが取れるのもバカンス用のインフラが整備されているからです。海や山には安く泊まれる短期滞在(一週間単位)のペンションがあります。また、海は海岸が広く(おそらく人工的に広くしたと思われます)、多勢の人が海水浴をすることができる設備やホテルが整備されています。日本の企業では一週間の夏休みが普通ですが、イタリア人のバカンスの取り方を見ていると何故こんなに違うのかと考えさせられます。
 7月20日からはG8のサミットが北イタリアのジェノバで始まります。この前、テレビでG8とは何処の国かと通りを歩いている市民(10人くらい)に質問していたのですが正解者は誰もいませんでした。日本人なら正解者は2、3人はいたと思いますが、日本がメンバーに入っていることはほとんど知らず、スペインやスイス、オーストリアなどと答えていた人もいました。イタリア人からみると興味があるのは、せいぜいヨーロッパ内だけで、あとのアメリカやアジアのことはほとんど関心がないのです。
 そのヨーロッパも来年からはEUになり、通貨もユーロに統一されるのですが本当にうまく変われるのか興味があるところです。私のアパートの前の食料品店のご主人は、来年になったら店を閉じるといっています。理由は店のレジなどの設備を変えるのに費用が掛かるので、あとまだ年金を貰えるまでには2、3年あるのですがもう閉めるのだといっています。そして、良かったら私に工房として貸してやるよと言ってくれています。通貨ユーロへの移行は2002年の初めは各国通貨とユーロが併用されますが、確か4月か5月かにはユーロだけになるのです。これもテレビのアンケート調査の結果ですが、ユーロになっても給料はリラで貰いたいという人が半数以上いますので、スムースにユーロへ変更されるとはとても思えないのです。スーパーなどの値札には既にユーロとリラの両方が併記されているのですがユーロで払っている人は見たことはありません。政府もあまりまだ宣伝をしていませんので本当に予定通り移行できるのか心配です。
 8月3日に帰国する予定です。今、第1号にニスを塗っているところですが、ようやく思った色になってきました。帰るまでには、深みのあるニスに仕上がればと思っているのですがどうでしょうか。日本の暑さと湿気はニスにはよくないのですが、できるだけ乾かしてから持って帰る予定です。