No.12 2003.7記

 学校では7月に卒業試験がありました。この年はヨーロッパは異常な暑さで40度近くの日が続き、フランスでは死者が多数出ました。そんな暑さの中、試験準備のため友人のアパートに集まり勉強したのが良い思い出です。同級生の中には音楽学校出身が多いので、数学や物理が得意ではなく、私が中心で教えました。私も何とか卒業できましたが、試験は日本とは比べものにならないほど長時間で、最後にイタリア語での口答諮問もあり、それにこの異常な暑さで死ぬかと思ったほどです。
 また、試験が終った後、日本経済新聞から取材に来られました。“されど団塊”というテーマで夕刊一面に掲載され、本人もビックリしたほどの大きなスペースでした。

 こちらは、7月4日に卒業試験の結果発表があり無事に卒業しましたが、試験のために出来なかったことが幾つかありそれを片付けるのに忙しい日々を送っております。ヴァイオリン作りは5台目を5月末には終える予定だったのですが、試験のためやはり集中することができず、いくつか失敗をしてしまいやっと7月上旬に完成し、ニスを塗り始めたところです。
 先ず初めに卒業試験についてですが、イタリアの卒業試験は日本よりもはるかに大変です。知り合いのイタリア人の元教師に聞くと以前はもっと難しくて小学校でも落第する生徒がいたとのことです。5年生は卒業試験の準備のため、他の学年よりも1週間早く5月末で授業は終わりました。そのあと卒業論文の作成や卒業試験の準備で6月の1ヶ月間は非常に緊張した毎日でした。卒業試験は4回に分けてありました。6月19日に1回目のイタリア語の試験がありこれが連続6時間ありました。翌日に音響物理が5時間あり、さらに3回目が6月23日に5教科(英語、数学、音楽、ニス、楽器修理)について3時間ありました。そして最後の口頭諮問が一人約50分間あり、1日に4~5人のペースで受験者が31人いましたので1週間かかって7月4日に終わりました。試験結果の発表は、最後の人の口頭諮問が終わった7月4日にありました。個人別に点数が掲示されました。正直なところ、あまり若くない私にとっては、1ヶ月にわたる試験準備(勉強)と長時間にわたる試験はかなり苦痛で、「無事に何とか終わってくれ」と願いながらの毎日でした。思ったよりだいぶ悪い成績でしたが、無事に卒業できましたのでホッとしているところです。試験は、監督の先生が二人いるのですが、イタリアらしく普段の試験と同じようにやはりカンニングはあり、先生は見て見ぬ振りをしてくれました。それに私の場合は物理が多少分かるということから、音響物理の試験の時には何人かから、「助けて欲しい」と試験の前に小さな紙を渡されました。問題は3問あったのですが、そのうちの2問は計算問題なので私が答を別々に紙に書いて、待っている隣の席の生徒に渡しました。そのあとこの紙は教室の中を回ったわけです。
 ところで学校は来年の九月からはまた以前(8年前)の4年制の専門学校に戻るとのことです。今はこの学校はイタリア人の中学校を卒業した生徒(14歳)が入学して途中で進路を変更しても大学に入学できるようにするために五年制でふつうの高校と同じように英語や数学などもあり、高校卒業資格(Diploma)を取るための卒業試験も同じようにあるのです。しかし、実際にはこの学校を卒業して大学に進む人はなく、また外国人の生徒からはもっとヴァイオリン製作関連の授業を増やしてくれるよう毎年のように要求があるので校長もついに気持ちを変えたようです。イタリアではヴァイオリン製作学校はクレモナの近くではパルマとミラノにありますが、この二つの学校は専門学校なのでヴァイオリン製作の授業が中心です。このためクレモナの学校からこれらの学校に移る生徒もいます。ただ、クレモナの学校は一番大きくマエストロも多いのでたくさんの情報が集まってくるのでそれだけに魅力はあるのです。また以前の専門学校に戻るわけですが、いろいろな試行をして少しでも良い学校になってくれればと思います。
 ところで試験準備中の6月上・中旬は猛暑で35℃を越えました。クレモナは北海道の稚内とだいたい同じ緯度ですが、かなり気温は高いのです。ただ、この猛暑も6月末に卵位の大きさの雹が降り、そのあとは一時涼しくなったのですが、7月10日頃からまた猛暑に戻っています。この大きな雹は夜中の2時ごろに降り屋根の大きな音にビックリして目が覚めたのですが、翌朝、アパートの前の通りを歩くとほとんどの車は屋根が凹んでおり、ガラスが割れた車もありました。今、この猛暑はイタリア全土にわたっているのですが、雨が少なく干害の被害が出ています。クレモナを流れるイタリアで一番大きなポー川も水が大分少なくなってきています。テレビのニュースを見ていると地元の農家の50~60歳の方が「こんなに水が減ったのは今まで見たことがない」といっていましたので40~50年振りに雨が少ないということになります。この干害はテレビで毎日のように取り上げられイタリア全土で深刻な問題となっています。南イタリアの教会では雨乞いのお祈りをしているところもあります。
 それから、これからの予定ですが、学校が終わってからはロンバルディア州主催で11月初めから2月初め頃まで約3ヶ月間、Tirocinioというのがあります。辞書には見習い、見習奉公、研修期間などの訳があるのですが、マエストロの工房に通い楽器を一台作り、最後にはレポートを書いて州に報告しなければなりません。これを終了すると免許のようなものをくれ、マエストロとして仕事をすることが可能になります。ただ、イタリアの場合は、ドイツのように厳格なマイスター制度はないので特にこの免許のようなものがなくても仕事をすることは可能です。ところで、通うマエストロは自分で探すか、いなかった場合には州からマエストロを割り当てられることになります。私の場合は今まで習っていたBissolottiに以前お願いしたのですが、あまり良い返事をもらえなかったので自分で別のマエストロを探そうと思っていたところだったのですが、学校の製作実習の時にマエストロから「よかったら自分のところに来ないか?」と言われ、特に問題はないので了解しました。学校の実習のマエストロはVoltiniと言いますが彼はクレモナで3年に一度行なわれるヴァイオリン製作コンクール、2年半前ほどNHKテレビでその模様が放映されましたが、1994年のチェロ部門の優勝者で日本でもそこそこに有名な人です。そんな人なので既に生徒の誰かが頼みに行って決まっているのかと思っていたのですが(去年は何人かの生徒が頼みに行ったようです)、まだ誰もいなく私に声を掛けてくれたようです。彼は教えるのは何も問題はないのですが、少し性格的にイタリア人にはめずらしく暗いところがあり、同級生の何人かとはウマがあわず、私も最初はそうだったのですがもう大分慣れてきましたが、時々トラブルを起こしたことがありました。そんなこともあり生徒がまだ頼みに行っていなかったのかもしれませんが、私にとってはこの2年間、このマエストロからいろいろことを習い、かなり進歩した?と思っていますので彼の所で最後の仕上げをしようと思います。また彼は、ドイツに留学して修理を勉強した経験があり、クレモナではめずらしく修理もできる数少ないマエストロの一人です。日本に帰ってからのことを考えると修理も勉強しておく必要があり、Tirocinioの後、しばらく彼の工房に通い修理を勉強できればと考えていますので彼のところでTirocinioをすることは大変幸運なことと思います。
 ところで、7月17日に日本経済新聞のミラノ支局から取材にきました。クレモナに住んでいるマエストロの石井さんが私を紹介して下さったのですが、彼は今の皇太子殿下にヴァイオリン(ヴィオラかもしれませんが)を献呈した人です。初めての経験なので少し興奮気味だったのだと思いますが、午後2時から7時半頃までの取材があっという間に終わった感じです。記者からは少年時代から今までのことをかなり細かく聞かれたのですが、少し喋り過ぎた感じで反省しているところです。カメラマンは日本から来たのですが、レンズ交換ができる最高級デジカメを2台持ってきていました。初めてプロのカメラマンと接しましたが、やはり職人的なところがあり、納得する写真が撮れるまで暑い中を汗をかきながら何回もシャッターを切っていました。カメラマンの希望はイタリアで作っていることが分かる写真を撮りたかったので、最初は私の部屋ではそれが分からないので教会の前で記者と話をしているところも撮る予定でした。何枚かの写真を撮っている中に窓からのイタリアらしい風景に気づき、作業台を移動していくつかの作業の写真を撮りました。デジカメなので撮った写真を直ぐに見ながら、角度を変えたりして100枚以上の写真を撮りましたが彼が納得した写真もできたようです。まだ、採用されるかどうかは確定していませんが(というのは私自身、ただイタリアに来て作っているだけでそんなに大きなインパクトはないと思っているからです)、新聞に載る場合は、7月末ごろから8月上旬の夕刊の一面でタイトルは“されど団塊”ということです。日経新聞の朝刊ではなく、夕刊なのでご注意下さい。
 最後になりましたが、日本への一時帰国は8月12日から9月19日迄です。ヴァイオリンを2台持って帰る予定ですが、販売ルートを見つけるため幾つかの楽器店をまわる予定です。もし皆様の周りでヴァイオリンやビオラ等の弦楽器に興味がある方がいらっしゃいましたらご連絡下さい。特にアマチュアの大学や市民オーケストラのメンバーの方は大歓迎です。
 それでは日本でまたお会いできるのを楽しみにしています。さようなら。