No.3 1999.12.29記

*初めての試験の思い出
 初めての試験は生物だったのですが、ある日授業が始まるといきなり試験だということでちょっとビックリしました。イタリア語で試験のことを何と言うか知らなかったので無理も無いのですが、これには困りました。試験問題を見てもほとんど分からないのですが辞書を引きながら少しずつ解いていきましたが、やはり問題の意味が分からずに最後は少し諦めていました。教室を見渡すと45才で入学したウクライナの人は隣の人の答えを写していました。ただ、私はそこまではしたくないと思い、半ばもう諦めていたのですが、そんな時、私の近くに座っていた女の子が、「先生、五嶋はよくわかっているのだがイタリア語がわからないので、少し助けてもいいですか」と言って、私の横に来て問題の意味を説明してくれたのですが、よく分からず、結局は答えを見せてくれました。まだ、15歳の少女でしたがが、こんなにしっかりと先生に断って年取った日本人のオジサンを助けてくれるとは何という感激でしょう。困っている私を見て何とかしようと思ってくれたのでしょう。後で分かったのですが彼女は私の近くに住んでおり、クリスマスのプレゼントや日本からのお土産を持っていったりしたので彼女の両親とも親しくなりました。一家はナポリの近くのサレルノというところに住んでいたのですが、彼女がヴァイオリン作りを勉強したいということで両親も一緒に来て住んでいるということです。二人兄妹でお兄さんは年が10歳以上離れているのですが、ミラノのオーケストラで演奏しているとのことです。

*数学の試験の思い出
 一般的に言ってイタリア人は数学があまり得意ではないようです。数学の試験の時は、よく出来ない生徒は私の周りに座わりたがりました。また、小さな白紙のメモ用紙を用意して試験中に私のところに回してきて、答えを書いてくれるように頼まれることもありました。問題の番号とその答えを書き、それを教室の中で回すのです。ただ、一度は問題が難し過ぎて彼らには絶対解けないというのがあり、この時は答えを書かないで回しました。答えを書いてしまうと写したというのが先生にすぐ分かるからです。彼らもそこそこに出来ればよいので理解はしてくれました。それにマル写しはすぐに分かるので適当に変えて書いていたようです。こんな試験ならやめた方がよいと思うのですが、先生も分かっていながら適当に点数をつけて評価をするというのはいかにもイタリアらしいところです。

*優しい理解のある先生
 2年生のテクノロジア(木材の性質等に関する授業)という授業の時には、私が年(51歳)をとっているということで、もう一人の45歳の同級生(ウクライナ人)と一緒に試験の直前の授業の時に先生から「授業の後、残るように」と言われ、こっそりと試験の問題を教えてくれました。ただ私はその答えが良く分からなかったので、ここを書けばよいのかと聞くと、「いや違う、ここを書くんだ」と結局、答えも教えてくれました。この先生は私がエンジニアだったということでいつも尊敬をしてくれていました。まだ30歳前後の若い先生でしたが、新しい勤め先が見つかり、先生が学校を辞める時には、クレモナ郊外にある別荘でパーティをしましたが、この時にもきちんと彼のご両親や婚約者に私を紹介してくれました。

 第二報から随分時間が経ってしまい申し訳ありません。実は、11月末にやっと電話が引け、すぐにインターネットを使えるようにして、電子メールで連絡ができるようになったのがその一因です。メールですと簡単に連絡ができるため、どうしてもメールでのやり取りが多くなり、また情報がリアルタイムで伝わりますのでほんとうに距離感がなくなった感じがします。今は実家や会社の友人などに毎日のようにメールを送っていますので電話代がいくらになるのか少し心配です。イタリアは電話代とガソリン代が日本に比べて高いということです。
 こちらは、クリスマスまでは非常に寒い日が続いていましたが(といってもマイナスになる日は少ないのですが)、その後は少し寒さが緩み暖かい日が続いています。初めてのキリスト教の国でのクリスマスでしたが、日本のクリスマスとは違ってそんなに騒ぐわけでもなく静かなクリスマスでした。ただ、習慣がわからず、お世話になった方へカードを贈ろうと思い20日頃から何時送るのがいいのかと気になっていたのですが、結局、郵便で出すよりも自分で届けようと思い(小さな町ですから自転車で回ればすぐです)、予め電話をしておいて24日にイタリア人の方へカードとプレゼント(花束)を持っていきました。それにクリスマスのミサに関心がありましたので、はじめは24日の夜にミサに行こうかと思っていたのですが、いろいろ聞いているとミサは真夜中に始まると聞き、行くのをやめました。というのも私と同じように夜に弱い方もいるようで、25日の昼間にミサに行かれると聞いたので私も無理をして真夜中に行くのはやめました。ただ、25日の午後は日本人の方から食事に誘われ、終わったのが夜7時過ぎになり、そのあと教会に行ったのですがミサがちょうど終わったところで教会から出されてしまいました。
 学校は12月23日から休みに入り1月10日まで休みです。生徒も先生も休み前からもうクリスマス気分で、数学の授業では授業をしたあと最後にパンネット(菓子パンを大きくしたものでクリスマス用のパン:直径22~23センチ、高さ20センチ位)をみんなで食べ、シャンペン、ワイン、ジュース(まだ未成年の子もいますので)を飲んだりで終わりました。また生物では授業をせずに、みんなで古い教会を回ったり、美術館に行ったりしました。美術館では入場料を最初払えといわれ、イタリア人の子供たちは「そんなお金はもってないよ」といって出ようとしたのですが、係りの人が責任者の方と交渉の結果、結局タダにしてもらいました。
 学校の授業の方は何科目か試験がありましたが、試験中に答えを教えてもらったり(良くできるイタリア人の女の子が先生に「五嶋は分かっているのだがイタリア語がよく分からないので教えてもいいか」と先生に了解を得てから教えてくれたのです)、先生が甘く点をつけてくれたりして(答案を返してくれた時に次回までにこれを覚えて来いと言われ、点数を上げてくれました)、何とか無事に通りぬけています。12月の10日頃に前期の中間として非常におおざっぱではありますが、成績発表があり、今のところは何も問題はないということでした。ただ、同級生の日本人(私以外に4人)は出席率や授業態度が悪くいろいろ問題を指摘されたようです。このままでは落第の可能性のある人もいます。
 この2ヶ月の中でのトピックスは、電話が引けたこと、クリスマス、とそれにもう一つはサッカー見物です。イタリアはご存知のようにサッカーが大変な盛んな国ですが(国技だと聞いていますが)、12月12日にクレモナの隣のPiacenzaと言う町までサッカーの試合を見に行ってきました。こちらの日本人の学生から中田のいるペルージャ(Perugia)が来るからと誘われ、イタリアのサッカー場の雰囲気も知りたいので寒い中を行ってきました。PiacenzaにはセリエAのチームがあり、ペルージャはAWAYだったので周りはほとんどPiacenzaのファンだったのですが、仲良く応援ができました。周りにはあまり熱狂的なファンはいなかったのですが審判の判定に文句がある時には一斉に声をだして抗議したり、シュートチャンスがくると我を忘れて立って大きな声を出したりしているのを見ているとなかなか面白いです。日本人とはちょっと違うなぁと感じました。それにしても中田は本当にチームの要でよく活躍しており、私も元気づけられました。試合は0対0の引き分けでしたが、中田の活躍を見ていると不思議に大きな声が出ていつの間にか「中田ガンバレ、中田行け、行け」と叫んでおり、周りのイタリア人からジロッと見られたり、笑われたりしていました。
 ただ、このサッカー見物に行く途中、列車の乗り換えのため駅の待合室で待っていた親子に声をかけたら、コソボから来たとのことです。5歳と6歳ぐらいの男の子二人と、お腹に6ヶ月の子供がいる母親の3人で、ご主人はと聞くとコソボにいるとのことです。20分くらいの短い時間でしたが片言のイタリア語で話している中に子供たちと仲良くなり、子供たちの乗った列車から何時までも手を振ってくれたのが今でも目に浮かびます。クレモナに行くといってましたのでまた会えるかもしれませんが、思わぬところで戦争の影響を知らされました。イタリアにはいろんな国から人が来ており、いろんな国のことを知らされます(ヨーロッパ共通のことかもしれませんが)。特にアフリカに近いこともあり、黒人の人も多く、花束を売り歩いたり、スーパーなどの前では物乞いをしている人もいます。ただ気が楽になるのは、夕方通っている中学校のイタリア語コースに黒人の人もたくさん来ていますが、彼らは非常に明るく、彼らと一緒に机を並べているとこちらも明るくなり、「あまりくよくよするな」と言われた感じになります。また、この中学校のイタリア語コースもいろいろな国の人がおり、分からない時はみんな母国語で説明しあうため、英語(だいぶ訛りがありますが)、フランス語、ドイツ語、ロシア語、それに日本語が話されます。教える先生もイタリア語で説明しますが最後は母国語で説明してもらった方が良いようです。
 ところで、昨年は自分にとってはいわゆる転機の年でした。皆さんから激励のお言葉をいただき、ありがとうございました。まだまだ始まったばかりでほんとうに大変なのはこれからだと思います。自分の夢を実現するために、また皆さんのご期待にそえるよう、努力していきたいと思います。ただし、イタリア人からよく言われるのですがPiano Piano(ゆっくり、ゆっくりという意味です)でやっていきます。お蔭様でほんとうに周りの方がいろいろ親切にして下さり、助かっています。イタリア人は明るく気軽に声を掛けてくれ、面白くて、そして一つ一つの行動にすぐに反応してくれ、親切で楽しくなります。ほんとうにイタリアは住みやすく来て良かったと思います。
 正月は休みが長いので小旅行をする予定です。1月3日から5日までBologna, Assisi, Pisaを回ってくる予定です。今、個人的にご好意でイタリア語を教えて下さっている先生のアドバイスもあるのですが自分でも行ってみたい場所でもあります。Assisiは宗教的な関心から、Pisaは物理学的な関心(これでも専攻は物理なんです)からです。次回の報告をおたのしみに!