師事したマエストロ

マエストロとの出会いは縁で、学校の授業で、どのマエストロに習うかはその後のヴァイオリン作りの人生に大きな影響を与えると考えます。私がクレモナで直接師事し、大きな影響を受けたのは、Vincenzo Bissolotti、Allessandro Voltini、 Primo Pistoniの3人です。2年生に編入された私は幸運にも製作授業の最初の先生がVincenzo Bissolotti でした。ただ、彼は家の仕事に専念するため、この年で学校を退職したので習ったのは一年間だけでした。ただ、その後も工房に通い、ヴァイオリン作りだけでなく、考え方、姿勢を学びました。次のA.Voltiniは最も影響を受けたマエストロです。学校の授業を含めると約6年間習ったことになり、私のヴァイオリンスタイルは殆ど彼に近いと言えます。最後はPrimo Pistoniです。彼はクレモナの国際製作コンクールでヴァイオリンとチェロで優勝しています。にもかかわらず、私のような何も知らない者にも親切に教えてくれ、人間的にも素晴らしいマエストロです。帰国前の最後の仕上げで、約9か月間、クレモナ郊外の彼の工房に自転車で通い、いろいろ教えてもらったのが良い思い出です。マエストロ・ピストーニとの出会いもまた不思議な縁を感じます。雪の降っていたあの時に出会っていなかったらたくさんの疑問をもったまま帰国することになったと思います。

BISSOLOTTI VINCENZO

2年生の製作実習

学校での最初の先生がFRANCESCO BISSOLOTTIの三男のVINCENZOでした。学校に入る前にヴァイオリン製作家についてはほとんど知らなかったのですが、BISSOLOTTIとMORASSIについてはある本に出ていましたので知っていました。ただ、最初はBISSOLOTTI本人ではなく、「彼の息子か」という感じでみていたのですが、実際に授業を受けてみると、「やはり、BISSOLOTTIの息子だ」という感じに変わりました。彼は、都合により、20年間教えた学校をこの年で辞めてしまいました。辞めた理由は家で仕事をしたいということでしたが、学校の生徒のヤル気の無さにも嫌気がさしていたようです。ただ、私はそのあとも彼に習いたかったので、彼にお願いして、BISSOLOTTIの工房に通う許可を得ました。授業の無い時などに作りかけのヴァイオリンを持って行き、指導を受けました。これは4年生の終わり頃まで続けましたが、彼の仕事への取り組み方、仕事の正確さには感心することが多く、大いに参考になり、自分は大きな影響を受けました。クレモナで最初に彼と出会ったことが大きな幸運だったと思います。父FRANCESCO BISSOLOTTIには時々楽器を見てもらうことはありましたが、指導を受けたとことは殆どありませんでした。ただ、工房での彼の作業をを見ているだけでも大変勉強になりました。私が通い始めた頃は彼の体の調子が悪く、あまり話をすることも無かったのですが、だんだんと慣れてきて体の調子も良くなってきたこともあり、冗談をよく話すようになりました。何故か、FRANCESCOは私が工房に行くと、柱に背中をこすりながらチュチュとネズミの物まねをよくしていたのですが、一旦、ヴァイオリンを持って仕事をし始めると目の色が変わったのを今でも覚えています。彼らから習ったクレモナの伝統的な作り方、つまり内枠の型を使用し、共鳴箱を閉じてからパフリングを入れる方法は、最終的な板の厚さを確認する方法がなく、自分には難しくまだ十分には消化しきれていませんが、将来には挑戦したい方法です。

写真:向かって左がVincenzo、右がお父さんのFrancesco Bissolotti
帰国前の2011年10月に撮影

SPERZAGA ANGELO

3年生の製作実習

典型的なイタリア人の若いマエストロです。彼からはヴァイオリン作りの基本的な流れを学びました。教えることが好きで、積極的に生徒の中に入ってきて教えてくれましたが、その恩恵は女性の方がはるかに多く受けました。私のクラスには3人の女性がいましたが、授業の大半は彼女たちのところで教えており、というよりはマエストロが作業しているのが多く、我々日本人の男のところには、あまり話をしないこともあり、言わない限りはほとんど来ませんでした。一年間だけでしたが、いつも明るい声で生徒たちと気さくに話をし、イタリア人を感じさせるマエストロです。

ALESSANDRO VOLTIN

4~5年生の製作実習、卒業後の実習(Tirocinio)、そして卒業後も約2年間半工房に通いました

 

4~5年生の制作実習の授業
卒業後も彼の工房に通い、もっとも影響を受けたマエストロです。彼の楽器を最初に見たのは入学した年にあった楽器関連の展示会(MONDO MUSICA)でした。そこは、マエストロ・モラッシーが主宰していたグループのブースで、10数台の楽器が展示されていましたが、一番、形がきれいで気に入ったのが彼のヴァイオリンでした。展示会のあと、同級生の日本人の若い人にその話をすると、彼も気に入っているので習いたいと言い、そのあと直ぐに彼は工房に通い始めました。私はまだイタリア語も分からないし、製作の知識もないので、時期尚早と思い諦めました。 ところが、4年生になったときの最初、4年生の別のクラスの製作実習のマエストロがVOLTINIになることがわかりました。私は別のクラスでしたが、同級生の日本人が退学や落第でいなくなり、私一人になりました。私の居たクラスはイタリア人中心で構成され、授業は普通のイタリア語のスピードで話され、私にとっては苦痛に感じていたところでした。VOLTINIが担当するクラスは外国人で構成されており、日本人が二人いました。そこで、思いきって副校長にクラス変更をお願いし、VOLTINIのクラスに決まったのです。

Tirocinio:卒業研修(残念ながらこの研修は今はもう無くなりました)
卒業研修(Tirocinio)は州主催で卒業後、マエストロの工房に300時間通い、楽器を作るコースです。私は学校の製作実習と同じマエストロのA.Voltiniの工房に通いました。作ったのはGuarneri del Gesuのヴァイオリン(カノーネ)でした。写真からアルミの型を作ることから始め、全ての工程を学びました。作る上でいくつかの点でSTRADIVARIとの違いがあり非常に勉強になりました。

(Tirocinioのマエストロ探し) お願いするマエストロは生徒が探し、学校に届け出て通うことになります。生徒の中には学校の授業以外で習っているマエストロもおり、その場合はそのマエストロに頼むのが普通です。なお、いない場合は学校が紹介するマエストロの所に行くことになります。私の場合は特に親しいマエストロはいなかったので、学校の紹介するマエストロにするかVoltiniにするか迷っていたところです。彼はトリエンナーレで優勝しており有名なマエストロなので、もう既に誰かが頼んでいる場合も考えられ、もしこちらから頼んで断られる可能性も十分にあったからです。そんな時、卒業が近くなった5月上旬の実習の授業の時に、Voltiniが私の作業台の所に来て「もう、Tirocinioの先生は決まったのか? まだだったら私の所に来ないか?」と声をかけてくれました。まさかと思っていたのでもちろんすぐに返事をして決めました。 学校の2年間で習ったことも多いのですが、このTirocinioで習ったことは大変多く、またこの後も彼の工房に暫く通うことになり、声を掛けてくれたことは私にとっては大きな転機になりました。

A.Voltini からは何を習ったか?
今の私のヴァイオリンの殆どは彼から学んだものです。彼はクレモナの学校を卒業後、フランスおよびドイツで修理などを勉強しており、彼が教えてくれる内容はその時に学んだことも含まれており、非常に勉強になります。最初の頃、刃物の研ぎ方を習いましたが、今までのやり方とはまったく違っており合理的な考えに驚きました。そして早く作るための方法なども教えてくれましたが、聞くと、なるほどと感心することばかりです。また、他のマエストロに比べると理論的で板の厚みの削り方や、バスバーのセッティングなどは理論的な考えに基づいています。ヴァイオリンの作り方は彼はモラッシー派なのでBISSOLOTTIとは全然違っており、慣れるまでにしばらく時間が掛かりました。例えばブロックは柳ではなく表板と同じABETEを使いますが、大きさや形もBISSOLOTTIとは違っています。プンタの巾は少し狭く、プンタの高さは4.5ミリで低めです。周辺の板の厚さも少し違っています。バスバーはやや細身で形も少し違ってまた、多くのクレモナが使っている釘は彼はつかいません。このような違いが当然ですが外観の違いとなり、BISSOLOTTIとはかなり違います。なお、彼はクレモナで3年毎にある楽器製作のコンクールで1994年にチェロ部門で一位になっています。

PRIMO PISTONI

3年生のニスの授業と帰国前の個人授業

3年生のニスの授業
彼はトリエンナーレのコンクールでヴァイオリンとチェロでそれぞれ一位になっており、クレモナを代表するマエストロの一人です。その彼が、2000年に教師として学校に来るようになりましたが残念ながら一年で辞めてしまいました。私のクラスではニスの担当でした。私にとってはニスのことはまったく知識がなかったので、できるだけ見逃さないように(聞き漏らさないようにと書きたいのですがイタリア語があまり分かりませんでした)、一生懸命ノートを取りました。刷毛の使い方、リタッチの方法、透明ニスや色ニスの作り方など初めて習うことばかりで、いつも楽しみにしていた授業でした。透明ニスでは実際に少しオイルの入ったアルコールニスを実際に作るところを見せてくれました。イタリア語があまり理解できなったので、大切だと思うところは質問をして確認したのですが、親切に教えてくれまいした。時々、通りやスーパーでバッタリ会うことがあるのですが、いつも「元気か?」と声をかけてくれ、少しも威張るところがなく、人間的にもりっぱなマエストロです。

写真は最後の個人授業で彼の工房で撮ったもの。 工房はきちんと整理整頓され、腕の良いマエストロの工房とはどういうものかを知らされました。

帰国前の個人授業…今までに習ったことの確認と疑問に思っていたことの確認
学校の3年生の時のニスの授業で知っていたこともあり、帰国前にもう一度、今までに疑問に思っていたことの総仕上げとして、彼に習おうと思っていました。ただ、工房が郊外にあり、また忙しい人なので、なかなか電話でお願いすることが出来ないでいました。それが2011年の1月、雪が降っていた日でしたが、会計士の事務所でエレベーターを待っていると、偶然にもマエストロが降りてきました。さっそく、秋に帰国するが、その前に今までに疑問に思っていることをはっきりしたいので教えてくれないかと頼みましたら、快く工房に来ても良いという許可をもらいました。あらかじめ質問事項をまとめ、なるべく短時間で終わるようにして訪問したのですが、話がはずみ2時間近く居ることになり、マエストロから今日は30分だよと言われても最後まで結局一時間を超す毎回の訪問でした。約9か月間でしたが一番中味の濃い時間を過ごすことができました。